おまけ1:背景なしVer.


説明その1・「女神」(新紀元社)から

 [カナンの女王]
 アスタルテは西アジアや小アジアに見られる豊穣神で、
特にカナン(現在のシリア。特に地中海沿岸地域を指す。ここに住んでいた人々をフェニキア人とも呼ばれた。)
の人々に崇拝された。この女神への信仰は青銅器時代からだと思われる。
アスタルテはその昔、この地方の主神たるエルの妻とされた。(この場合はアシラトと呼ばれることが多かった)
また、その後に主神になったバアルの妹であり、妻であると考えられた。
なお、アスタルテ=エルの妻と考えると、エルの息子がバアルに当たるため、(ダゴン神が父だという説もあるが)
アスタルテはバアルの母であり、妻であるという説も取れる。
さらに、同じ時期に主神(エル、もしくはバアル)の妻だったアナト女神と同一視された節もある。
ただしアラブ人やアラム人はことのほか彼女を敬い、
「天界の支配者」 「王権の女王」 「万物の母」 などと呼ばれていたという。
 アスタルテは肉感的な裸体の美女として描かれることが多く、
それが信仰者にとっての理想の女性像だった。
 アスタルテの神殿では、女神を見立てた巫女との性交儀式が行なわれた。
これは豊穣の儀式であると同時に、王にとって権力を維持するための「女神との結婚」
をも意味していた。また、王と女神の交合を人々が祝うことで、
その国には繁栄と強さがもたらされると信じられていた。

 [信仰の変遷]
 当時、カナンと呼ばれていたシリア地域には小アジア、エジプト、西アジア、ギリシア
などの諸文化の接点にあった。これだけ好条件がそろっていたのに、
シリアには強大なと統一国家がなかなか生まれず、他国の軍門に下ることも多かった。
 しかし、そうした征服者たちにもアスタルテがよく信仰された。
 たとえば、ヒッタイト人がその筆頭に挙げられる。彼らはアスタルテをシリア一の女神に祭り上げた。
この地に逃げ込んで王朝を立てたヘブライ人も、彼女を崇拝した。
特にソロモン王は豊穣と戦の女神としてアスタルテに帰依し、聖堂を建立するほどだった。
またカナン人はよく貿易を行なっていたため、アスタルテの存在は国外へも伝わった。
ギリシア神話のアフロディーテ女神も、アスタルテの血を引いているといわれ、
キリスト教における聖母マリアの原型のひとつではないかという説もある。
 一方、エジプトでは彼女は当時の神話に取り入れられたという。
12月25日には、アスタルテの聖なる劇が演じられた。これによって、
天界の乙女=アスタルテから太陽神が再生することを祝っていたという。


説明その2・「堕天使」(新紀元社)から

 古代フェニキアの都市ビブロスの守護神であるアスタルテは、いわゆる地母神のひとりではあるが、
王権を継承するものはなによりもまず「わたしはアスタルテに仕える聖職者である」
と宣言しなければならなかったほど、その影響力は大きかった。
 アスタルテの性格はインドの女神カーリーに酷似している。
カーリーは、いわばシヴァ神の分身であり、「創造・維持・破壊」をつかさどるとされていている。
当然ながら人々はその破壊的な面を恐れて、人々は血の犠牲を捧げることを怠らない。
不思議な一致というのだろうか。シュメールから出土された4000年前の円筒印章には、
カーリーとおなじ姿勢をしたアスタルテ像が刻まれていた。
それは、夫の上にしゃがみこんだ姿勢で、死、愛、創造等を意味していると言う。
 フェニキアにおけるアスタルテは「世界の真の統治者」であり、
古い世界を破壊して新しい世界を創造するという、死と再生の儀式を繰り返す
女神として畏敬されていた。だから、王たるものは彼女に仕えると宣言することで、
彼女の司祭として国家を建設し、秩序を維持する権利を持ったとされるのである。
当然ながらアスタルテは死者の霊魂をも管理する立場にある。
死者は天界に住み、光り輝く衣装を身に着けるとされたことから星と同一視された。
夜空を眺めると理解できるが、これらの星たち、すなわち死者の霊魂は月の周囲に散在している。
こうしたことから、月はアスタルテそのものと想定されたのである。

 これほどに崇拝された女神であったアスタルテは、
キリスト教の普及によって悪魔へと身分を落とされた。
権威失墜の最大の理由は、キリスト教徒はたったひとりの神以外は認めないというものであった。
こうしてしばらくのあいだ、彼女は死の女神、流血を好む邪悪な神とされていた。


説明その3・サイトの文章のまとめてみたもの
[参考リンク]
Barbaroi!:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/
幻想世界小辞典:http://www.jiten.info/
神魔精妖名辞典:http://dug.main.jp/sinma/

カナアンに伝えられる古代セム族の豊饒と生殖の女神。
バビロニアの神であるイシュタルに語源があるとされる。
バアルの配偶神で頭に三日月型の角をつけた姿や、牡牛の頭をした女性の姿で表される。
ビブロスの女神。中東地方の太女神の最古の女神のひとりで、
エジプトのハトホル、ミケーネの デメテル、キプロスのアフロディーテと同一視されている。
エジプトではアースティルティトと呼ばれ、アナトと共にバアルと同一視されるセトの妻となっている。

ビブロスにあるその神殿は新石器時代にすでにあって、「青銅器時代」にはおおいに栄えたという。
アスタルテはインド・ヨーロッパ文化圏全域にわたって崇拝された
「創造し、維持し、破壊する女神」そのものであって、今なおカーリーに代表される大自然のシンボルである。
アスタルテは「世界の真の統治者」で、飽くことなく創造しては破壊し、古きを滅しては新しきを生んだ。
シドン〔古代フェニキアの都市〕の王たちはアスタルテの許可なくしては治めることができなかった。
どの王もみずからを真っ先に「アスタルテに仕える聖職者」だと称した。

シュメールのラガシュから出土した紀元前2300年頃の円筒印章を見ると、
女神アスタルテはカーリーと同じ姿勢をとっている。
それは愛と死の聖なる姿勢で、夫の身体の上にしゃがみこんでいる。

アスタルテは死者のすべての霊魂を治めた。死者は天界に住み、光るものを身につけていて、
地球から見るとそれは 星として見えた。そのためアスタルテは「星の女王」Astroarcheとも言われた。
アスタルテは天界に住む万霊の母親であり、子どもである星に囲まれた「月」であった。
アスタルテはその子どもたちに星の身体を与えたのである。
オカルト信者たちは今でも天体のことを眼に見えない生き霊だといっているが、
彼らは天体という語は、本来、星の光という意味を持っていたということを忘れてしまっているのである。

アスタルテの秘密をよく理解している学者は、
アスタルテこそ聖母マリアの太古の原型のひとつであるとした。
シリアやエジプトでは、12月25日になると、毎年、アスタルテの聖なる劇を演じることによって、
天界の乙女から太陽神が再生することを祝った。生まれたばかりの子どもを見て、
人々は「天界の乙女が子を生みたもうた」と叫び声をあげた。フレーザーは次のように記している。
「このように懐妊して、12月25日に子供を生んだ乙女は、疑いもなく、オリエントの偉大なる女神で、
セム族の人々はその乙女を天界の乙女、あるいは天界の女神と呼んだ。
セム族の国々ではこの乙女はアスタルテの一種であったのである」。

アラブ人にとってはアスタルテはアトタルAthtar(明けの明星)であった。
アラム語〔北西セム語族に属する語〕では、アスタルテはAttar-Samayinと書かれ、「天界の明けの明星」を意味した。
カナン人にとっては、アスタルテは天界の支配者、王権の女王、万神の母であった。

ヤハウェが預言者エレミアに語ったという文章の内容から当時の信仰の断片がみえる。
「子供は木を集め、父は木を燃やし、女はねり粉をこねている。天の女王のための菓子を作り、
他の神々に対して飲み物の奉納物を注ぐために。この人たちは私の怒りを刺激する」
「私が十分に食物を与え彼らを満たした時、彼らはそこで姦淫を行い、
売春婦の家に群れをなして集まっている」等。

ミズパではヤハウェとアスタルテの神殿が実際に並んで建てられていたという。
紀元前5世紀には、上エジプトにおいてヘブライ人の共同体で月の女神を神の配偶者とみなしていた。


おまけ2:泡(もしくは水球・・?)なしVer.